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エジプト文明

エジプト・アラブ共和国(エジプト・アラブきょうわこく)、通称エジプトは、中東・アフリカの国。首都はカイロ。

西にリビア、南にスーダン、北東にイスラエルがあり、北に地中海、東は紅海に面している。南北に流れるナイル川の河谷とデルタ地帯のほかは大部分が砂漠である。ナイル河口の東に紅海と地中海を結ぶスエズ運河がある。



古代エジプト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

古代エジプトとは古代のエジプトの歴史的呼称。ここで起きたエジプト文明は世界四大文明のひとつ。紀元前3000年前後に中央集権的な統一国家となる。通常、紀元前31年にプトレマイオス朝が滅亡しローマ帝国の支配下に入る前までの時代を指す。

古い時代から砂漠が広がっていたため、ナイル河流域の面積にして日本の4倍程度の範囲だけが居住に適しており、主な活動はその中で行われた。ナイル河の上流は谷合でありナイル河一本だけが流れ、下流はデルタ地帯が広がっている。最初に上流地域(上エジプト)と下流地域(下エジプト)でそれぞれ違った文化が発展した後に統一されたため、王の称号の中に「上下エジプト王」という部分が残り、古代エジプト人も自国のことを「二つの国」と呼んでいた。

ナイル河は毎年氾濫を起こし、肥えた土を下流に広げたことがエジプトの繁栄のもとだといわれる。ナイル河の氾濫を正確に予測する必要から天文観測が行われ、太陽暦が作られた。太陽とシリウス星が同時に昇る頃ナイル河は氾濫したという。また、氾濫が収まった後に農地を元通り配分するため、測量と幾何学が発達した。

アフリカの中南部とは砂漠と山岳によって隔てられているため、アフリカというよりも西アジア、地中海文明に近い文明であった。最初の農耕文明とされるメソポタミアから多くの影響を受けているといわれるが、民族移動の交差点にあたるメソポタミアが終始異民族の侵入を受け戦いにあけくれたのに比べ、地理的に孤立して外れにあったエジプトは比較的安定していた。

失われた文明(1) エジプト 不滅の生命
失われた文明(1) エジプト 不滅の生命



エジプト文明 古代エジプト史
古代エジプトの王朝
王朝誕生前のエジプト
エジプト原始王朝
エジプト初期王朝
第1 第2
エジプト古王国
第3 第4 第5 第6
エジプト第1中間期
第7 第8 第9 第10
エジプト中王国
第11 第12
エジプト第2中間期
第13 第14 第15 第16 第17
エジプト新王国
第18 第19 第20
エジプト第3中間期
第21 第22 第23 第24 第25 第26
エジプト末期王朝
第27 第28 第29 第30 第31
グレコ・ローマン時代
アレクサンドロス大王
プトレマイオス朝
属州エジプト
紀元前30000年頃、西アジア方面から古代エジプト人の祖先が移住して来る。
紀元前10000年頃、定住が始まる。
紀元前5000年頃、新石器時代。農耕と牧畜が始まる。集落が生まれ、バダーリ文化が始まる。
紀元前4000年頃、各地にセペト(後にギリシア語でノモス)と呼ばれる都市国家が上エジプトに22、下エジプトに20、合計約42に分かれて成立し始める。
上エジプト:ナイル河上流の細長い峡谷地帯、ナカダ文化。
下エジプト:ナイル河下流の広がったデルタ地帯、ファイユーム文化、メリムデ文化、マーディ文化。
紀元前3500年頃、ノモスが上エジプトと下エジプトの二つの統一国家にまとまる。
上エジプト:主神:ホルス、都市:テーベ、テルモポリス、エレファンティネ。
下エジプト:主神:セト、都市:メンフィス、ヘリオポリス、ギザ。
灌漑農耕が始まりパレスチナ、レバノン方面に進出。
ヒエログリフ(神聖文字)が使われはじめる。
古代エジプト人は、日本の元号のように「『王の名前』の統治何年目」のように歴史を記録していた。そのため、絶対的な年代表記法に置き換えた時に、幾分かの誤差があるだろうと言われる。初期王朝の始まりも50年から200年ほどの誤差がある可能性が指摘されている。

古代エジプトは、次の時代に区分されている。

エジプト初期王朝(紀元前3150年-紀元前2686年)
エジプト古王国(紀元前2986年-紀元前2181年)
エジプト第一中間期(紀元前2181年-紀元前2040年)
エジプト中王国(紀元前2040年-紀元前1663年)
エジプト第二中間期(紀元前1663年-紀元前1570年)
エジプト新王国(紀元前1570年-紀元前1070年)
エジプト第三中間期(紀元前1069年-紀元前525年)
エジプト末期王朝(紀元前525年-紀元前332年)
プトレマイオス朝(紀元前332年-紀元前30年)

エジプト文明 エジプト初期王朝(黎明期、第1~第2王朝)
国家の統一。メソポタミアに対する脅威から国が統一されたともいわれる。
首都:メンフィス

紀元前3150年頃、上エジプトのナルメル王(メネス王、ホル・アハ王とも)上下エジプトの統一
上下エジプトの王として確認された王として最古の王である。ナルメル王よりも古い上下エジプトの王がいた可能性もある。
ヒエログリフの文字体系が確立。太陽暦(シリウス・ナイル暦)が普及する。
紀元前3000年頃、メソポタミアからワインやビールが伝わる。

エジプト文明 エジプト古王国時代(第3~6王朝)
中央政権が安定。
首都:メンフィス

紀元前2650年頃、ジェセル王が階段ピラミッド造営。
紀元前2600年頃、スネフェル王がヌビア、リビア、シナイに遠征隊派遣。
紀元前2550年頃、クフ王、カフラー王、メンカウラー王がギザの3大ピラミッド造営。

エジプト文明 エジプト第1中間期(第7~第10王朝)
紀元前2200年頃、内乱(第1中間期)。

エジプト文明 エジプト中王国時代(第11~12王朝)
青銅器時代に入る。
首都:テーベ

紀元前2040年頃、再統一(エジプト中王国時代)。
紀元前1850年頃、センウセレト3世がヌビアに遠征。
紀元前1800年頃、アメンエムハト3世がファイユーム盆地を開発。

エジプト文明 エジプト第2中間期(第13~第17王朝)
紀元前1785年頃、内乱(第2中間期)。
紀元前1650年頃、ヒクソスによる下エジプト支配(第15~16王朝)。
紀元前17世紀、古代イスラエルの人々がヤアコブの時代に移住してくる。後に400年間奴隷となる。

エジプト文明 エジプト新王国時代(第18~20王朝)
領土がナイル川流域を越えて最大版図となり、「帝国時代」とも呼ばれる。
首都:テーベ

紀元前1540年頃、イアフメス王によるヒクソス放逐,再統一(エジプト新王国時代)。
紀元前1500年頃、トトメス1世がユーフラテス河畔に進出。
紀元前1490年頃、ハトシェプスト女王の統治。
紀元前1470年頃、トトメス3世によるアジア遠征。
紀元前1360年頃、アメンホテプ4世(アクエンアテン)によるアマルナ宗教改革(伝統的なアメン神を中心にした多神崇拝を廃止、太陽神アテンの一神崇拝に改める。世界最初の一神教といわれる)。戦闘を避けたため国力が一時低下する。
紀元前1345年頃、ツタンカーメン王によるアメン信仰復活。
紀元前1300年頃、セティ1世によるアジア遠征。
紀元前1285年頃、カデシュの戦い(ラムセス2世、対ヒッタイト)。
紀元前1270年頃、ヒッタイトと和平条約。
紀元前13世紀、古代イスラエルの人々が、モーゼとともにエジプトを脱出。後に一神教のユダヤ教の元になるグループである。
紀元前1220年頃、海の民の侵入。

エジプト文明 エジプト第三中間期(大司祭国家、第21~第26王朝)
残る1000年は、ゆっくりと衰退していく。

紀元前1080年頃、アメン神官団の長ヘリホルがテーベに神権国家を立てる。
紀元前945年頃から、ヌビア、アッシリア、アケメネス朝、ギリシャ、ローマなどの他民族支配により衰退。
紀元前730年頃、クシュ(ヌビア)王ピイ、エジプト征服。
紀元前671年、アッシリア王エセルハドンの侵入。
紀元前655年、プサメティコス1世、アッシリアから独立。

エジプト文明 エジプト末期王朝(第27~第31王朝)
紀元前525年、アケメネス朝ペルシア王カンビュセスのエジプト征服、支配。
紀元前404年、ペルシアから独立。
紀元前341年、アケメネス朝ペルシア王アルタクセルクセス3世のエジプト再征服、支配。

エジプト文明 プトレマイオス朝
ギリシャ人による王朝。

紀元前332年、マケドニア王アレクサンドロス(アレキサンダー大王)により征服される。
紀元前305年、アレキサンダー大王の死後、マケドニアの将軍がプトレマイオス1世として即位(プトレマイオス朝開始)。
紀元前30年、クレオパトラ7世自殺。ローマの属州(正確には皇帝の私領)となる。

エジプト文明 古代エジプトの通貨
古代エジプトでは、貴金属が貨幣として使われた。初期には金属を秤で量ってやりとりされたが、後期には鋳造貨幣が用いられた。

興味深い例としては、モロコシなどの穀物を倉庫に預けた「預り証」が、通貨として使われたこともある。現在の通貨と違うのが、穀物は古くなると価値が落ちるということである。したがって、この通貨は長期保存の出来ない、時間的に価値の落ちて行く通貨である。

結果として、通貨を何かと交換して手にいれたら、出来るだけ早く他の物と交換する事が行われたため、流通が早まった。その結果として古代エジプトの経済が発達したといわれ、この事例は地域通貨の研究者によって注目されている。

また、ローマの影響下で貨幣が使われるようになった結果、『価値の減って行く通貨』による流通の促進が止まり、貨幣による富の蓄積が行われるようになりエジプトの経済が没落したという意見もある。


エジプト文明 メソポタミアとの交流
ヒエログリフの誕生については,メソポタミア(シュメール)から文字の観念が伝わり、ナイル川沿岸で独自に字形を作り出したとする人も多いが、はっきりとしたことはわかっていない。逆に、キリスト教などの影響を受けた人の、文明の起源を聖書の記述に基づくようにしたいがために、エジプトではなくメソポタミアに文字の起源を求めたいとする欲求を指摘する人もいる。現在メソポタミアの文字よりも、ヒエログリフの方が年代的に500年ほど古いものが出土しているが、今後のより一層の研究が待たれる。
紀元前3000年頃にメソポタミアからワインとビールが伝わりエジプトでも生産が始まった。ワインは高貴な酒で一般市民はビールをのんだが、後に生産量が増えて市民にも広まった。
エジプト国内においては木材資源が乏しかったため、主としてレバノン杉を移入して用いていた。

エジプト文明 その他
1%程度の少ない貴族階級が土地を所有し支配していた。残る99%であるほとんどの一般市民は小作だった。ファラオによって土地を与えられることにより貴族となるが、ファラオが交替したり、王朝が変わると、土地を取り上げられ貴族ではなくなる事も多く、貴族は必ずしも安定した地位にあるわけではなかった。
上下のエジプトに分かれていたが、後に統一された。なお、前述のように上下というのはナイル河の上流・下流という意味であり、ナイル河は北に向かって流れているため、北にあたる地域が下エジプトである。
1日を24時間としたのは、エジプトだと言われている。昼と夜の時間をそれぞれ10時間、計20時間とされていた。しかしその後、昼と夜との境界の時間をそれぞれに加え、24時間と制定されたとされる説が有力である。
エジプト文明は、メソポタミアとのことが重要だといっても、過言ではありません。つまり、メソポタミアがなければ、古代エジプト文明も変わっていたかもしれないのです。


エジプト文明 古代エジプト用語
ファラオ - 神権皇帝。一人を除き男性。継承権は第一皇女にある。したがって第一皇女の夫がファラオになる。神権により支配した。名前の一部には神の名前が含まれる。
メネス - ファラオの付けている頭巾。

エジプト文明 関連項目
エジプト神話
ファラオ
ヒエログリフ
ロゼッタ・ストーン
セネト

エジプト文明

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