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東国原英夫

宮崎県議会・東国原知事と河野総務部長
県議会に出席する宮崎県の東国原英夫知事(手前)。後方は副知事への起用が予定される河野俊嗣総務部長。議会終了後には記者団に対し、副知事に総務省出身の同総務部長を起用すると明言(15日午前、宮崎県議会) 【時事通信社】

そのまんま東
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

東国原知事2007/2/5記者会見

東国原 英夫(ひがしこくばる ひでお、1957年(昭和32年)9月16日 - )は、日本の政治家、知事(宮崎県知事・第52代)。

元お笑いタレント、 ビートたけし率いる芸人集団たけし軍団の一員でビートたけしの最初の弟子。俳優、作家。最終学歴は早稲田大学政治経済学部中退。タレント時代の芸名は「そのまんま東(そのまんま ひがし)」。

宮崎県知事  東国原 英夫 生年月日 1957年(昭和32年)9月16日
出身地 宮崎県都城市
出身校 専修大学経済学部経済学科卒業
早稲田大学第二文学部卒業
早稲田大学政治経済学部中退
学位 学士
前職 タレント
世襲の有無 無
在任期間 2007年(平成19年)1月23日
 ‐ 現職
当選回数 1回
所属(推薦)党派 無所属
ウェブサイト そのまんま東オフィシャルサイト

略歴
1957年(昭和32年)
9月16日:宮崎県都城市にて出生。
1976年(昭和51年)
3月:宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校卒業。
1980年(昭和55年)
3月:専修大学経済学部卒業。
1980年(昭和55年)
12月:フジテレビ のお昼のバラエティ番組『笑ってる場合ですよ!』の「お笑い君こそスターだ!」のコーナーで漫才コンビ「オスカル・メスカル」で出場し、チャンピオンになる。
1982年(昭和57年)
3月:ビートたけし(ツービート)の最初のボーヤ(付き人)となる。
1983年 (昭和58年)
9月:『お笑いスター誕生!!』で「ツーツーレロレロ」として出場し、金賞を授賞。
1985年(昭和60年)
:フリーアナウンサー片平きみよ(現・片平夏貴)と結婚。
1986年(昭和61年)
12月9日:フライデー襲撃事件。
1989年(平成元年)
片平きみよと離婚。
1990年(平成2年)
3月:女優のかとうかずこ(現・かとうかず子)と再婚。
2000年(平成12年)
4月:早稲田大学第二文学部入学。
2004年(平成16年)
3月:早稲田大学第二文学部卒業。
2004年(平成16年)4月:社会人AO入試で早稲田大学政治経済学部入学。
2006年(平成18年)
2月3日:かとうかずこと離婚。
3月:早稲田大学政治経済学部中退。
12月13日:オフィス北野(所属事務所)との契約を解消(事実上の芸能界引退)。
2007年(平成19年)
1月21日:第17回宮崎県知事選挙(無所属)当選。266,807票。

タレント「そのまんま東」として
1980年、フジテレビの『笑ってる場合ですよ!』の「お笑い君こそスターだ!」というオーディションに、「オスカル・メスカル」という漫才コンビで出場した際に、同番組に出演していたビートたけしの楽屋を訪ねて弟子入りを願い出て、1982年3月に一番弟子となる。デビュー当初の芸名は「東英夫」であった。
その直後、コンビの相棒が芸能界入りする目的であった当時の人気アイドル歌手河合奈保子を生で見たことで満足し、芸能界を辞めるということでコンビは解散、やむなく京都産業大学の学生だった丸山昭範と3か月だけという約束で、コンビを結成。師匠たけしのコンビ名「ツービート」の「ツー」をもらって「ツーツーレロレロ」と名乗った。3か月後、芸能界を辞める丸山に、たけしに黙って失踪したという事にしてもらい、東は当時テレビ局でADをしていた大森うたえもんとコンビを組んで「ツーツーレロレロ」を続ける。[1]人気漫才師ビートたけしの弟子と言うことで注目され、関東の有名大学をコキおろすネタを主にやっていた。1983年にたけし軍団の一員となり、「ツーツーレロレロ」のコンビを解消した。
「そのまんま東」の名前の由来は、たけし軍団メンバー全員の芸名を変えるという宴席で、自分だけ新しい芸名が与えられなかった東が「師匠。私は名前はどうなるのでしょうか?」と聞くと、芸名を思いつかなかったビートたけしが「お前はそのまんま、“東”だよ」と最初は答えていたが、途中でいたずらっ気を起こし、「だから“そのまんま東”だよ」と言い切り、これがそのまま芸名となったという。
テレビ番組で細木数子に「テレビに向いてない」と言われたことがある。

作家活動
不祥事で芸能活動を自粛していた1987年に書いた推理小説『ビートたけし殺人事件』がベストセラーになり、翌1988年にはTBSでドラマ化され、東自身もたけし軍団の面々と共に出演。後に結婚することになるかとうかずこもヒロイン役で出演した。

学歴関連
早稲田大学(学部学科不明)
お笑い時代は「合格したが行く気がなかったので辞退した」と言っていた。
早稲田大学入学後は「行く気がないので合否は確認していない」「友人から合格していたと聞いたこともある」と自身のホームページで主張している。
明治大学(学部学科不明)についても、早稲田大学と同じく、合否の確認をしてないと本人は言っている。
早稲田大学第二文学部
社会人入試で合格

事件等
フライデー襲撃事件
1986年12月9日、ビートたけしに率いられたけし軍団と共に講談社を襲撃し、暴行罪で現行犯逮捕される(本人は襲撃する気持ちは無かったと後に語っている)。自身のホームページでは「過去の不祥事」という記事で、下記の「渋谷イメクラ事件」と「後輩暴行事件」については詳しく経緯を記しているのに、「フライデー襲撃事件」については、プロフィールの年表に「たけし&たけし軍団フライディ襲撃事件。」とだけ載せているだけで、経緯については何故か説明がない。→詳細はフライデー襲撃事件を参照。



渋谷イメクラ事件
1998年10月13日、東京都内のイメージクラブ店が未成年の従業員を使っていたことで、児童福祉法違反並びに東京都の青少年健全育成条例 違反の容疑で経営者が逮捕された。その当時16歳であった少女が、わいせつなサービスをした客として東の名前を供述したことで、警察から任意の事情聴取を数回受けたが、「18歳未満とは知らなかった」と話した。 東本人と当時の妻のかとうもそれぞれマスコミを通じ、謝罪の文書を発表した。以後芸能活動を5か月間自粛した。東自身は法的に罪に問われることはなかったが、倫理的な性質の問題からマスコミでは「淫行事件」として大々的に報道され、社会の激しい批判を浴びることとなった。



後輩暴行事件
1999年11月22日、オフィス北野の忘年会でたけし軍団の後輩タレントの北海ジャンジャン の側頭部を蹴り、頭部打撲等のけがを負わせたとして、傷害容疑で書類送検され、暴行の事実を認め、略式起訴で罰金を払った。そのことで一時謹慎した。東の公式ウェブサイトでの説明によると、その後輩は普段からその言動が大変問題視されていたため、先輩として規律を正す意味で一発蹴ったが、暴行を加えたことを正当化するつもりはないとしている。北海ジャンジャンから500万円の損害賠償をしなければ、刑事告訴をすると言われたが、恐喝・脅迫に等しいと判断し、その要求を断ったため、彼が破れかぶれで刑事告訴を起こしたと説明している。
→詳細は北海ジャンジャンを参照。





政治の世界へ
かとうとの離婚後に「前々から政治家になりたいと思っていた」と言っていたことが明かされ、本人の発言やブログの記事からも政治への強い関心を見せるなど、タレント時代から政界への進出を考えていたという。謹慎中に入学した早稲田大学第二文学部では、卒業論文のテーマとして選挙活動を扱ったほか、卒業後も同学政治経済学部に再入学して政治学を学んでいる。

2006年には本人を代表とする「そのまんま会」を設立、同12月4日には故郷宮崎県の県選挙管理委員会に政治団体としての届け出を行った。地元での事務所開きで、支援者を前に自らの出馬にかける思いを語った際には過去の不祥事についても自ら切り出し語った。そして数日後には所属していた北野オフィスを退社。官製談合事件で現職知事安藤忠恕が逮捕されことに伴う宮崎県知事選挙へ無所属で立候補。当初は過去の問題行動や言動などのイメージもあって出馬を疑問視する声も多かった。

東は、選挙活動にはタレント候補にありがちなタレントの応援を一切受けない作戦を立て、「脱タレント」を印象付ける選挙活動を展開した。遊説や立会演説では宮崎弁を使い、早稲田大学出身をアピールし、選挙活動最終日にはマラソンをしながら活動した。宮崎再建・宮崎自立のための具体策を打ち出したそのまんまマニフェストや無所属であることの「しがらみのなさ」を強調しての県政批判などは、政治に無関心な無党派層の関心を呼び起こしただけではなく、現状に不満を持つ政党支持層へも支持を拡大していくこととなった。

こうして、「しがらみのなさ」や「宮崎を変える」という期待感が県民に好印象を与えたことに加え、保守陣営の分裂という追い風も幸いして、県民の圧倒的な票を得て当選した。各マスコミによる出口調査では無党派層だけでなく各政党支持層からも一定の票を獲得したことが伺える。小学校の文集に「夢は政治家とお笑い芸人」と書いていたが、その夢を2つとも適えることとなった。


知事「東国原英夫」として
選挙活動は芸名の「そのまんま東で行なったが、県知事に就任してからは本名の東国原英夫で活動している。
作業服で初登庁したり、「椅子をパイプ椅子に変える」「こんな立派な机もいらない」「退職金は出来高払い。議会がいらないと言えばいらない」などの言動が地元では好意的に受け止められている。公用車について、当初は「廃止する」と述べていたが燃費などの問題を考え、公用車をトヨタ自動車の「トヨタ・センチュリー」からハイブリッドカーの「トヨタ・クラウンセダン」へ乗り換え、これにより年60万円の公費削減となった。
報道番組やワイドショーが連日報道したため、宮崎県の注目度が上がった。
2007年1月23日の知事就任直前に清武町で、そして直後には日向市で鳥インフルエンザが発生した。1月9日には中央省庁を訪れ、国からの財政支援などを要請した。また、県内の民放局で流す、県産の鶏肉、鶏卵の安全性を訴えるCMに自ら出演したり、宮崎県の巨人軍キャンプとソフトバンクの練習場を訪れ、宮崎県産地鶏などを贈呈するなど、風評対策のため、鶏肉の安全性を盛んにアピールしている。
2003年に4億9,600万円の公費を費やして建設された知事公舎を批判し、宮崎県の費用で借りているマンションに住んでいる。維持費は年間1,000万円とのことである。

人物評
東国原姓は宮崎県都城地域や鹿児島県曽於地域において、少なからず見られる姓である。
宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校時代はハンドボール部に所属。高校総体にも2年連続で出場した。
大学は記念受験で早稲田大学、明治大学を受験したが、地元紙の「大学合格者一覧」には名前がなかったという(本人は合格したと言っていた)。
「渋谷イメクラ事件」による謹慎中に、早稲田大学第二文学部(文学部の2部)の社会人入試に挑戦し合格。
どの授業でも教授に小さなことまで聞きに行き、教授に対するアピールを積極的に行った。
その甲斐有って、卒業成績は146単位(卒業要件は124単位)、37科目中「優」が31科目、「良」が5科目、「可」が1科目と優秀な成績を修める。
1990年に著書『ビートたけし殺人事件』がドラマ化された際に共演して知り合った、女優のかとうかず子(当時はかとうかずこ)と再婚。一男一女を設けるが、16年目にして、かとうが夫の宮崎県知事選出馬という夢についていけないということで、2006年2月3日に離婚。かとうは「友達として応援はできても、手伝えない」、「九州に行くことは選べませんでした」などと語ったが、東の夢に向う姿勢にはエールを送った。離婚時、子供2人(15歳長男と12歳長女)がいたが、親権を持つかとうは慰謝料、養育費はもらわないことを明らかにした。[2]
知事就任の翌日のテレビ番組で、かとうからメールの返事が来ないと打ち明けた際に、「(復縁に)協力してください」と笑顔を見せたりもしたが、2月3日、かとうは出演したテレビ番組で、東との復縁を尋ねられた際、「ないです」ときっぱり復縁の可能性を否定した。




出演した番組など
ドラマ
『ビートたけし殺人事件 失われた魔人の伝説』(1989年10月7 TBS系)
世にも奇妙な物語 『死後の苦労』(1990年、フジテレビ系)
世にも奇妙な物語 『死神』(1991年、フジテレビ系)
バラエティ
風雲!たけし城(TBS系)2代目家老 東国原英夫守三太夫Jr.(ひがしこくばる ひでおのかみ さんだゆう じゅにあ)
号外版 風雲!たけし城(TBS系)
情報
2時ワクッ! 火曜(関西テレビ)※終了
アサデス。KBC 金曜、月一回(九州朝日放送)
CM
丸大食品
霧島酒造(宮崎県都城市にある焼酎などの醸造メーカー)
中部ハウス工業

著書
『ビートたけし殺人事件』太田出版、1988年2月、ISBN 4900416371
『明石家さんま殺人事件』太田出版、1989年4月、ISBN 4900416592
『伝言ダイヤル殺人事件』太田出版、1990年12月、ISBN 4872330102
『そのまんま東のそんなバカな!?』海越出版社、1993年5月、ISBN 4876971552
『東国原家の夏休みinダーウィン』碧宙出版、1999年5月、ISBN 4921104026
『どん底』音羽出版、2000年5月、ISBN 4901007106
『ゆっくり歩け、空を見ろ』新潮社、2001年2月、ISBN 4104439010
『芸人学生 : 僕が学びつづける理由』実業之日本社、2004年11月、ISBN 4408106143
『60歳を人生ピークにもっていく法 : 今日からできる、誰にでもできる!』KKロングセラーズ、2005年12月、ISBN 4845420910



東国原英夫

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